※この記事は、私が南米を旅行した2015年2月末~3月頭当時の情報です。現在と異なる状況がありますのでご容赦下さい(但し、埋め込んでいる地図は2022年2月現在のgoogle mapです)※
※また、残っている写真と記憶を頼りに書いているため細部は間違っていることもあるかと思います。併せてご容赦下さい※
☆この記事は「読み物」としてお楽しみください☆
今回は次なる目的地、マチュピチュへの2日間に渡る移動を描いています。這う這うの体でラパスに戻ってきた私たちは、休む間もなくバスを乗り継ぎボリビアから陸路国境を越えてペルーへと向かいます。ここでもまさかの出来事が起きて…国境越え前後編の前編、ボリビア出国編をお楽しみください。
目次
まさかの再開
前夜、どたばたの末なんとかバスに乗車できた私たちは、気付いたらラパスのバスターミナルに戻ってきていた。眠りに就いたと思ったらもう朝だった、というアレである。しかもバスで。時刻は7時前後だろうか。比較的静かなバスターミナルには、しかしこれから人々の活動と共に喧騒に包まれるであろう雰囲気が漂っていた。
前夜からほぼ何も食べていない私たちは、その時間に空いているターミナルのカフェで簡単に朝食を摂ることとした。ホットコーヒーとトマトエッグサンド(トマトエッグバーガー?)を注文した。味付けはケチャップとマヨネーズを自分の好みで味付けするセルフスタイルだ。
朝食を終えて、ペルーはクスコへ向かうバスのチケットを購入する。バスの名前はチチカカ号なのだろうか。かの有名なチチカカ湖を経由してクスコへと向かう大型バスだ。
貧乏旅行の私たちの強い味方、長距離バス。後から調べてみると、およそ以下のような経路(ラパス~コパカバーナ~プーノ~クスコ)でクスコへと向かったのだと思われる。
バスの出発までしばし時間があったため、トイレ(有料!)を済ませてターミナル内をぶらぶらしていると、飛び交っているスペイン語に交じって日本語が聞こえる。しかもその日本語は私達に向けられていた。20代半ばと思われる若い一人旅の男性がこちらに向かってくる。当然私の知り合いではない。(なんだ、怪しい日本人が近づいてくるな…?)と身構えていると、となりにいたYが驚いた表情でなんとも表現しづらい歓声を上げている。なんとその男性(Bとしよう)は、Yが以前にタイ旅行をしていた時に旅先で仲良くなり、共に旅をした人物だったのだ!世の中は狭いとはよく言ったものだが、まさかタイで会った人物とボリビアで再開するとはYも思っていなかったようだ。これだから旅は面白い。
私も挨拶をして雑談をしていると、同じバスに乗るということが判明。しかも、Bが旅行中に仲良くなったというC(40代くらいの男性)とD(世界一周をしている20代の男性)も一緒にいるとのこと。私達もそこに合流し、一時的に5人のパーティーとなった。思えばマイアミで~ラパスでもAさんと3人のパーティーになったし、本当に旅は何があるか分からない。
チチカカ湖到着
8時頃に出発したバスは順調に運行し、10時半頃にチチカカ湖に到着した。湖畔で停止したバスから、乗客がみんな降りている。休憩かな?と思ってバスを降りた私は目を疑った。しかし同時に全てを悟った。長距離バスをまるごと船で対岸へ運ぶというのだ。しかしその船はあまりにシンプルなのだ。目視で確認できるくらい対岸が近く航行距離が短いからアレでも良いのだろうと勝手に納得した。海峡を渡るのに要した時間はおおよそ15分程度だろうか。対岸に渡ったら早々と次の目的地コパカバーナ(copacabana)へとバスは向かった。
湖畔でランチ
バスに揺られて約1時間。午後12時前にコパカバーナ(copacabana)の港へ到着。多くの観光客が訪れるのだろう、外国人が多数おり飲食店もにぎわっている。また宿も多数あり、中には長期滞在している人もいるとのことだ。海外旅行先で居心地が良すぎて長居する人の事を「沈没」と言うらしいが、店先で客引きをしている白人などはどう見ても現地人ではなく「沈没」を感じさせる。あくまで個人的な意見であるが。
バスに乗ってから知ったことだが、この長距離バスはチチカカ湖での観光が付帯しているらしく、インカ文明の発祥の地とされる太陽の島(Isla del sol)を訪れることができるという。島までは小型ボートで向かうが、出航までの間に街ブラを済ませ昼食を摂ることにした。我々5人は湖畔にある食堂(?)に入ることにした。
その店はマス料理が自慢のようで、メニューはマスのレモンソースがけ、マスのガーリックソースがけ、マスのバターソースがけ、マスのデビルソースがけ(デビルソースが何かなのは良く分からないが辛いのは想像がつく)、マスのソテー、マスの唐揚げなどなどマス、マス、マス…マス尽くしである。他の鶏肉などは申し訳程度の記載であった。私たちはマスのソテー、マスの唐揚げ、怖い物見たさでマスのデビルソースがけを注文した。素材を活かした味というのがソテーと唐揚げの味を端的に表現している。デビルソースがけも辛かったが、程よい辛さで酸味もマッチして名前のイメージより美味しかった。
太陽の島へ
頼りない感じの桟橋を通って、太陽の島への船に乗り込む。インカ帝国始まりの土地と言われると、インカ帝国の事をよく知らなくてもなんだかわくわくするものである。私たちを乗せた船は軽快に水上を滑ってゆき、みるみる港を離れていく。
ちなみに港から太陽の島までは約1時間半で到着。約80ものインカ帝国にちなんだ遺跡があるようで、その遺跡は島の南側に位置しているようだ。行ってから知ったことだが、今も島で生活している人々がおり、宿泊施設もあるようだった。
島に近づいてきた。切り立った斜面に段々畑を設え、美しいレンガ造りなどのカラフルな建物が畑の緑色に映えている。観光客へのアナウンスでは、戻る船の時間の関係で観光時間は1時間半も無く僅かであること、遺跡へは急斜面に作られた階段と坂を登っていかないとならないことを伝えられた。
上陸するとすぐに階段が目に飛び込んできた。この階段もインカ時代の遺跡だという。平地らしい平地はほとんどないと言ってよい。残された時間も少ない我々はすぐに遺跡へと歩を進めた。階段入口の両脇には初代皇帝とその妃の像が観光客を出迎える。
この階段、かなり急である。しかも相変わらず高地なので酸素も薄い。他の観光客の中でも年配の方は休み休み登っていた。道の途中では、アルパカやロバを放牧(?)したり作業している民族衣装に身をまとった現地民を間近に見ることができた。天気が良かったのもあって、非常にのどなかな光景である。2,3日留まってのんびりするのも良さそうだ。
階段を上り、露店の脇を抜け、ロバの隊列とすれ違いながら坂を行くと石造りの遺跡へと辿り着いた。特に何かの説明書きもなく下調べもせずに来たものだから、ここが何を意味する遺跡なのかは分からなかったが、雰囲気を楽しむことはできた。特に顔が彫られた石造に。
時間いっぱい散策を楽しんで、下山。酸素は薄かったが高山病の症状は出なかった。順応してきたのだろうか。そして昨晩と同じ轍を踏むわけにはいかないので、少し時間に余裕をもって船に戻る。コパカバーナに戻った私たちは再びバスに乗り、ボリビアとペルーの国境の街、カサニ(kasani)へと向かう。
国境を越えて
19時前に国境の検問所に到着した。観光客の他に地元民もおり、検問所の外まで長い列ができていた。周囲を海に囲まれ他国と陸続きでない日本で育ち、海外旅行で陸路で国境を越えた経験のない私は初めての体験で少しどきどきしていた。
長い列は予想に反してサクサクと進み、国境越えも特にトラブルに巻き込まれることなくスムーズに終了した。石造りのアーチを越えるとそこはもうペルーなのだが、サクサク進んだとは言えこの僅かな距離を進むのに約1時間程かかった。アーチの先には入国したばかりであろう2人組みが大きな荷物を背負い、徒歩で先を目指していた。彼らが危険な目に遭わないよう祈りつつ、私たちは再びバスに乗車するのであった。
クスコへ
カサニ(kasani)からクスコへはまだ8時間以上。夜行バスで寝るのも慣れてきた。寝て起きたらクスコに到着しているのか…?
南米旅行回想記⑥~いざマチュピチュへ!スタンドバイミーロード爆走編~に続きます!