※この記事は、私が南米を旅行した2015年2月末~3月頭当時の情報です。現在と異なる状況がありますのでご容赦下さい(但し、埋め込んでいる地図は2022年4月現在のgoogle mapです)※
※また、残っている写真と記憶を頼りに書いているため細部は間違っていることもあるかと思います。併せてご容赦下さい※

☆この記事は「読み物」としてお楽しみください☆

 今回は次なる目的地、マチュピチュへの2日間に渡る移動を描いています。長時間のバス移動を経て、ペルーはクスコに到着した私達。マチュピチュ遺跡の麓の村までの移動も過酷を極めます。途中でバスが動かなくなるトラブルに見舞われ、タイムリミットが迫って…。国境越え前後編の後編、スタンドバイミーロード編をお楽しみください。

目次

朝のクスコ

 ボリビアとペルーの国境を越えてからバスに揺られて数時間。何度目を覚まし、何度眠りに就いただろう。バスが停車する動きで目を覚まし、窓の外を見るとそこはバスターミナルであった。時間は朝6時過ぎ。いそいそとバスを降り、私とYは辺りを見回す。ここから更にマチュピチュへ向かうためのバスを探してみたが、どうやら私たちが計画している経路のバスはこのバス停からは出ていないようだ。

 私たちが計画している経路は、クスコ(Cusco)~水力発電所(Hidroelectrica)~マチュピチュ村(Aguas Calientes)である。クスコから水力発電所まではバスで、そこからマチュピチュ村までは徒歩で行く経路だ。

徒歩で緑のラベル(水力発電所)から線路沿い(青のライン)を通って、赤のラベル(マチュピチュ)へ

水力発電所行きのバスをコーディネートしているおじさんによると、ここから徒歩ですぐの待合所へ移動し、しばらくバスを待つと良いとのこと。おじさんについていくと、待合所には猫がいた。彼の名は「マンチェス」というらしい。待合所は宿泊施設の一室でソファや机が置いてあり、荷物を置くスペースのある空間だ。待合所以外にも観光客の荷物置き場としても使うのだろう。

 どうやら水力発電所行きのバスは8時頃出発のようだ。空が白んでいるがまだ暗い。もう少しして明るくなったらすこし散歩でもしようかとYと話しながら気づく。現地通貨が無い。ボリビアからペルーに来たわけで、通貨もボリビアーノからソルに変わるのだ。散歩がてら両替もしようと、先ほどのおじさんに聞くと7時くらいから両替所が開くという。

 太陽が昇り始め辺りが明るくなった頃、Yと私は近くを散策するために待合室を出た。さすが歴史ある町クスコ、町を構成する石畳や建物はボリビアとはまた違う魅力を醸し出している。景観を壊さないようにな佇まいのカフェも素敵だが、オープン前だったのか入らなかった。オープンしていたとしても、現地通貨が無いので入れなかったのだが。その後、ひと時の散策を楽しみ無事両替も済ますことができた。先立つものは金である。これからの旅はペルー国内の移動となるため、ある程度用意しておかねばならない。

 資金の確保も済み、7時半近くになったところでバスの乗降所へと向かう。バスの乗降所へは先ほどのおじさんではなく、おじさんの娘と思われる17,8歳くらいの少女が案内してくれることになった。スペイン語とケチュア語を話すことができるそうだ。試しにケチュア語を聞いてみたが(当然)何と言っているかさっぱり分からなかった。

 バスの乗降所はクスコの中心地の様な場所にあった。アルマス広場というらしい。こちらの方も歴史を感じさせる建物と緑の美しい場所で、そこから少し道を入ったところが目的の場所だ。

クスコ発水力発電所行き

 8時頃、ほぼ伝えられていた時間通りにバスはやってきた。同乗する外国人も7~8組いる。多くはカップルのようだ。バスと言っても、マイクロバスの様な感じでこれまで乗ってきた大型夜行バスとは趣が違う。

 私たちは案内してくれた少女に礼と別れを告げ、バスに乗り込む。どうやら席は特に指定は無いようで、早く着いた私たちは背もたれを気兼ねなく倒せると目論んで最後部の席を確保した。続々と外国人も乗車してくる。私たちの隣と前の席は見事にカップルが着席した。出発する前からいちゃついている。一体どうなっているんだ。無言でYと目を合わせ苦笑する。
 そんな私達を乗せたバスはクスコの街を出発し、水力発電所へと向かう。クスコを出ると、徐々に景色は田舎の風景へ移っていく。

 バスは山道を通っては集落付近を通って、を繰り返しながら段々と山奥へと向かっていく。雲はあるが空は高い。緑と赤茶色の建物とのコントラストが美しい。窓からは闘牛場だろうか、石造りの円形のスタジアムが見える。日本ではまず見ない光景だ。

 バスは一本道をひたすら突き進む。舗装路はやがて未舗装路になり、周囲の景色も険しくなっていく。バスの外は右手は山、左手は崖。バスの中は横も前も熱く絡み合うカップル。私たちが乗っているサイズの車同士では満足にすれ違うのも困難な道だ。橋も簡易的な場所があり、冒険心をそそる。ふと、車窓を見ていると現地では見るはずの無いものが。日本語が書かれたトラックがいるではないか。地球の裏で日本の物が活躍していると思うと何となく誇らしく思える。さらに進むと、右から左に流れる水で道が侵食されている。そんな場所が何か所もある。

バスのトラブル発生

 左手の崖は先へ進むごとに厳しくなり、路肩を少し外れれば底まで真っ逆さまだ。事実、この経路で観光客を乗せた車が滑落する事故が毎年のように起こるらしい。そんな過酷な道中であるが、順調に進んでいた。…かに見えた。流れる窓外の景色が急に止まった。運転手が降り、車外で何かしている。乗客は何が起こっているのかわからない様子。そのうち前方の乗客が運転手と何やら話し、情報が後方まで伝わってきた。タイヤがパンクしたようだ。ジャッキアップするために降りろと言われた。何故かカップルは降ろされず私達男二人組だけ。何か差別でもされてるんだろうか。車外に出て辺りを見回す。民家などどこにも見えない。山賊に襲われようものならひとたまりもないであろう。タイヤの方はというと、どうやらスペアタイヤで間に合わすことができそうだ。バスが停車してから再び出発するまで30~40分かかった。このタイムロスが後で私達を追い立てることになる。

昼食はまさかのアレ

 バスが再出発した時点で14時を回っていた。昼食をどうするのか良く分からないまま乗車していたが、もうしばらく車に揺られると小さな村に到着し停車した。水力発電所へ向かう途中の拠点のような場所なのであろう。集落自体は小規模だが道も舗装されており飲食店も数件軒を連ねている。ここで昼食休憩のようだ。指定した時間までに戻って来いと運転手が乗客にアナウンスしている(と思う)。好きなお店に入りたい所だが、ここでバスを乗り過ごしたら目も当てられないので、同じバスの乗客が入ったお店に私達も入店した。

 せっかくなのでおススメの料理が食べたいと思って拙いスペイン語で店員に聞くと、意外な食材を用いたステーキだという。なんとアルパカのステーキだ。あのまつ毛の長いアルパカをイメージすると何となく申し訳ない気持ちになるが、せっかくなので頂くことにした。少し待つと、分厚いステーキが出てきた。柔らかい。味は羊に似ているのかもしれない。臭みはあまり感じられずジューシーで食べやすかった。個人的にはとても好きな味であった。

水力発電所到着

 味を楽しむのもそこそこに、同じバスの乗客より早く食べ終えた私達は、ちらちらとその集団がお会計に立つのを待っていた。タイミングを合わせて私達も席を立ち、無事バスに乗り込むことができた。15時前にバスは出発し、15分程で水力発電所に到着した。おそらく昼食を食べた村は、水力発電所関係の人が出入りするのだろう。この水力発電所からマチュピチュ遺跡の麓の村、通称マチュピチュ村(アグアスカリエンテス)まではペルーレイル(リンク先は英語サイト)という列車が通っている。この線路を辿って歩いて行くのがスタンドバイミーロードである。クスコなど都市部からマチュピチュ村へアクセスするにはペルーレイルに乗って行くのが楽で快適なようだが、当然お金がかかる。従って費用を抑えたい人は、過酷な長時間バス+スタンドバイミーロードを通ってマチュピチュ村へと向かうのだ。

 バスから降りて、いざスタンドバイミーロードへ入ろうという時には15時半に差し掛かろうとしていた。マチュピチュ村までの目安は3時間程のようで、日が暮れると野犬に襲われる可能性があるという。従って、入山(?)は16時までと制限があるようだ。道中のパンクトラブルによって、知らず知らずのうちにギリギリの旅程になっていたようだ。駐車スペースから入山するには迷彩服を着た警備員による監視の下、頼りない橋を渡って入っていく。観光客が続々と歩いて行くので道に迷うことは無さそうだ。日が暮れる前にマチュピチュ村に到着したいものだ。

 爆走!スタンドバイミーロード

 という分けで、なるべく暗くなる前にマチュピチュ村まで辿り着きたい私たちは急ぎ足で村を目指すことにした。マイアミ空港の時(詳しくは南米旅行回想記②~いきなりトラブル編~をご覧ください)の様に全力疾走ではないが、長距離を高速で歩くのもなかなかハードである。

 橋を渡り、先を行く人々を目指して歩いて行くと、ついに線路が姿を現した。停車中のペルーレイルも停まっていた。青と黄色のカラーリングがなんともおしゃれな印象を与える。線路わきに犬がいるが、これが飼い犬なのか野犬なのか分からないので困ったものだ。狂犬病に罹患したら元も子もないので、私もYも動物好きだが下手に近付かないようにした。

 ある程度幅に余裕をもって線路が敷設されているので、多くの区間で線路脇を歩けるようになっている。行程の多くはウルバンバ川という川に沿っており、線路の片側が山で片側が川になっているのである。

 そして、所々で線路が川を跨ぐので橋を渡る必要がある。大きい橋は線路の他に整備用と思われる人が通るスペースがある。高所恐怖症の人は線路上ではなくそちらを通る方が良いだろう。線路上はなかなかスリリングだ。下を流れる濁流が良く見える。高所恐怖症のYは迷わず人用を選び、私は線路を選んだ。最初こそちょっと怖かったが、歩を進めるとすぐ慣れっこでぴょんぴょんと渡った。

 スタート地点近くのこの辺りはまだ観光客がまとまっているが、速度によって徐々に人の姿はまばらになる。追い越した観光客の中には、身長2m近くで幅は私たちの倍ぐらいあるタンクトップの屈強な男性がいた。彼はパートナーの女性の荷物を肩に担いで歩いており、女性は何も持たずに優雅に歩いていた。姫と御者か。追い越したはずの彼らは意外と速度が速かったようで、しばらく私達とつかず離れずで線路上を進んでいた。

 そんな彼らを振り切ろう(振り切る必要は無いのだが)と歩を早めた所、小雨が降ってきた。私はレインポンチョを持っていたので上から羽織ったが、Yはあまり気にしないようだ。歩き始めて1時間余り。小雨に打たれたのも相まって休憩したいなと思った頃合いで小屋が出現する。そこで雨宿りしつつ小休止すると、線路から外れたところにも屋根のある建物があるのが見える。人が住んでいるのか、あるいは人が定期的にくるのか、はたまた店なのか。頻繁に使われている様子はあるが詳しくは分からなかった。

 休憩を終え、先へ進むと再び小さな橋に差し掛かる。ここは線路のみで、先ほどのように人用の橋はない。高所恐怖症のYにとってスタンドバイミーロード最大の山場となったようだ。ビビッてしばらく逡巡するY、それを煽る私。意を決したYは、半ばやけくそ気味に雄たけびと共に小走りに渡っていった。残像の写る手足に疾走感と必死さを感じる。
 その後、今度はトンネル地帯に差し掛かる。この辺りは線路脇に人の通れるようなスペースもなく、本当に線路上を歩く形となる。単線の線路上でトンネルを通ろうとする際は、列車が通らないか細心の注意が必要だ。幅に余裕の無いトンネル内で列車が来ようものなら命の危険がある。トンネルごとに良く耳を澄ませて列車が近づく音や警笛が聞こえないか確認し、トンネル内は気持ち足早に進む。

 すると、あるトンネルの前で安全確認中に遠くから列車の音が…!トンネルの手前で数分待っていると列車が私達を追い越していく。野犬(?)が並走していたがどこから並走してきているか謎で、列車と共に野犬も姿を消した。

 いくつかのトンネルを越えて歩いて行くと、遠くに三方を山に囲まれ一方は川に面した町が見えてきた。マチュピチュ村だ。ゴールが見えると力が湧いてくるもので足取りも軽くなる。興奮していたためか、マチュピチュ村に入った時の写真はブレているものばっかりだった。結局マチュピチュ村には17時40分頃到着した。事前の情報では3~4時間かかる道のりだったが、体力に物を言わせてかなり短縮することに成功した。

マチュピチュ村で宿探し

 町に着いて一番にすることは宿の確保だ。思えば日本を発ってからこの方、夜にベッドに入り朝を迎えるということが一晩も無かった気がする。幸い、観光地ということもあって宿はたくさんある。数件回って、ある宿にやってきた。フロントでオーナーの家族と思われる中学生と小学生くらいの兄弟が番をしていた。その兄弟にいくつか質問してみる。
私達「温水シャワーある?」
兄弟「イエェス!」ニッコリ
私達「水圧強い?勢い良い?」
兄弟「イエェェス!」ニッコリ
私達「Wi-Fiある?」
兄弟「イエェェェス!」ニッコリ+サムズアップ
 非常~~~にうさん臭さを感じるが、かといって嘘を言っているようにも見えないため、彼らを信じてこの宿に決めてチェックインした。必要なもの以外は無いさっぱりした部屋であったが、ちゃんと掃除されておりWi-Fiも利用できた。

 さて、お腹も減っているし晩御飯を食べに町に繰り出したいところだが、汗をかき雨にも濡れてしまっているためまずはシャワーを浴びる。と靴を脱いだところ、ただならぬ臭いが部屋に充満する…。よく考えれば、マイアミ以来シャワーと言うものを浴びていない。いや、浴びることができなかったのだ。なぜならバス泊の繰り返しだったからである。ここで、旅の序盤に行動を共にし、ウユニで朝食をご一緒したAさんの言葉が脳内に蘇る。「2人とも、シャワー浴びます?」。あの時点で私たちは臭かったのかもしれない。ウユニは乾燥した高地なので臭いは抑えめだったかもしれないが、現時点でそこからさらに数日。極めつけはスタンドバイミーロードでの汗と雨で濡れた衣服、そして蒸れた靴。お互いに臭すぎてしばらく爆笑していた。数日ぶりに浴びるシャワーで、身体が生き返るようだった。温水だったが勢いはイマイチであった。フロントの兄弟がうさん臭いと感じたのはこれか。

久しぶりのまともな夕食とベッド

 シャワーを浴び、リフレッシュした私たちは夜のマチュピチュ村へ繰り出す。町の中を川が流れており、川を挟んで建物が連なっている。まるで日本の温泉街を思わせる佇まいだ。しかし別の通りへ入ると狭い道路に店が軒を連ねており、また趣が異なる。観光資源の比率が大きい村であろうから観光客向けの宿泊施設や飲食店、土産物屋が目を引く。ただ、町中を歩いていると学校があり、夜間というのに子供が元気よく走り回っている。ここで暮らす人々の日常生活も目にすることができる。

 夕食の前に美味しそうなアイスを売っている店を見つけたため、先にデザートを食べる。疲れているからか、抜群に美味い。2人して気に入った私たちは、明日もこの店を訪れることになる。こうしてアイスを食べつつ夕食の店を探していると、テラス席を設けている店を見つけた。メニューを見て何となくで注文してみると、予想とちょっと違う麺類が出てきた。美味しい。美味しいのだがなんと味を形容してよいか分からない。不思議な麺(パスタ)。

 夕食を終え、ちょっとした買い物をする。ペルーで大人気のソウルドリンク(?)、インカコーラだ。なんでもコカ・コーラ社の代表的商品、コカコーラよりも同国でははるかに人気の飲み物らしい。同じコーラの名前を冠しているが色も味も全然違う。私もYも気に入ってしまった。インカコーラは以後私たちの南米旅行のお供の座に就いたのであった。

 明日に備えて早く寝ようとベッドに入る。今まで夜行バスで座位での睡眠ばかりだったので、横になって眠れることが大変ありがたい。最初のうちは修学旅行のテンションでこれまでの旅についての話で盛り上がったり、今後の計画について話し合っていた。しかし2人とも疲労は溜まっていたのだろう、あっという間に眠気が襲ってきて夢うつつとなり深い眠りに落ちた。

念願のマチュピチュへ

 さぁ、今度は南米旅行三大目的地の一つ、マチュピチュだ。天空の湖「ウユニ塩湖」の次は天空の遺跡「マチュピチュ」。今回の南米は奇しくも天空にまつわる観光地を巡る旅になった。素晴らしい遺跡が私達を待っている。

南米旅行回想記⑦~魅惑のマチュピチュ・ワイナピチュ編~に続きます!

投稿者

hanamizawa

文系学部を卒業後、歯学部再受験し現在卒後数年経った歯科医師です 患者さんにより良い医療を届けるため日々勉強中 また、勉強していく中で日常生活にもアンテナを伸ばすと知らないことが溢れていることに気づいてしまいました。 猫好き、アウトドア好き、スポーツ好き、ドライブ好き、読書好き ゆるく生きています

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)